もしドラ、とは

『組織管理論手引書』、何とことを字に書いて意味を理解できる人が何人いるだろうか。筆者はこんな単語を書かれても、感じの雰囲気と何はいいたいのかニュアンスでものすごく曖昧なまま、あぁったぶんこういうことが言いたいんだなぁ十いうことしか思わない。というより、日常生活でこんな言葉を使うような生活をしている人は全世界でもごく一握りの人間しかいないだろう。

人は基本的に何も考えずに生きている生き物だと、筆者は考える。難しいことばかり考えるときもあるが、それはほんのひと時にしか過ぎないと思う。己にとって不可解な答えを導こうとすること自体を、嫌う存在だ。楽なほうへと進みたがるのも、当然の心理と言っていい、筆者はそう考える。

しかし人生という荒波を潜り抜ける戦士としては、そんな生き方では何も改善せず、むしろ楽なほうへ進もうとすればいずれ待っているのは身の破滅でしかならない。それを好んで実行する人間など誰もいない、自殺行為など皆したくないのだ、だからこそ人は立ち向かっていくのだ、何かに。

話が脱線したが、この組織管理手引書というものを題材にした小難しい作品の存在をご存知だろうか。日本の作家『岩崎夏海』という作家が著したある作品で、そんな本を読んだ一人の女子高生が甲子園を目指していくという、一言でいえば何だそれっ、となりそうなものだが、まぁそんなことを書きたい訳ではないので、置いておこう。

『もしドラ』、正式なタイトルは『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』と、2009年に発売され、累計販売部数が2011年度計算でダブルミリオンを記録したという、近年の書籍としては珍しく売れたと、正直に言える作品だ。不況が続いている出版業界からすればいい知らせと共に、発行元のダイヤモンド社としては創業して以来初の大ヒット作品となる。

作品について一言にいえば、良くある青春野球を題材にした小説、と言っていいだろう。野球ものといえばそれこそ往年の名作から、近年発表された青春度を前回にした作品など様々だが、そのほとんどが主に船首の一人を主人公に押し上げて話を展開していく。王道中の王道をこの作品も行くのかと思うのだが、今作品ではタイトルから分かるとおり、女子マネージャーを主役にしてチームを甲子園に導こうとするのを最大のテーマにしている。

意表をついているといえば突いているかもしれないが、そうなるとこの手の話の筋としては聊か緊張感に欠けてしまうといった、風潮があると筆者は考えている。ところがこの作品では、女子マネージャーが手にするビジネス書の存在でお茶らけた雰囲気を崩しているのがエッセンスとなり、物語により引き締まりを与えている。

もしドラとはどういうストーリーなのか、原作のあらすじを元に少し見ていこう。

あらすじ

主人公である『川島みなみ』は東京都立程久保高校に在学している高校2年生。その日の夏、病に倒れた親友で幼馴染の『宮田夕紀』に頼まれて野球部のマネージャーを務めることになる。

マネージャーになる際、『野球部を甲子園に連れて行く』という目標を立てるのだが、監督や幼馴染でキャッチャーの柏木次郎を始めとする部員らの反応はやはり冷たいものであった。それは彼らの高校が地区予選を駆け上がっていくに際しての対戦校にあった。全国屈指の激戦区である西東京を勝ち抜くということは、現在の野球部にとっては到底不可能な問題で、甲子園出場というより、地区予選大会を勝ち上がることさえ難しいことだった。さらに部員のやる気のなさや、監督である加地とエースピッチャー浅野との確執など、問題が所狭しあった。

しかしそんな逆境ほど闘志を燃やすタイプであるみなみにとっては、諦めるの二文字は存在せず、むしろやりがいを感じるまでになっていた。

そこでまず、彼女がとったはじめの行動は、『マネージャーとは』と、根本的なことから理解をしていこうとすることにあると考え、書店で『マネジメント』の本を探す。そこで店員に進めらて買うことになるドラッガーの『【エッセンシャル版】マネジメント~基本と原則~』だった。ところがそれが買った後に企業家や経営者のための本だと知り、後悔してしまう。高校生にとってはいい値段をとられたこともあり癪に障りながらも、せっかく買ったということもあり、しぶしぶ本を呼んでみることにする。

はじめは参考程度にしか読んでいなかったが、本文の途中に書かれていた『マネジメントに必要な唯一の資質は真摯さ』という言葉に感銘を受け、感極まったのか思わず号泣してしまう。その後、かの上はこの本の内容の多くが野球部の組織作りに応用できるということに気づき、次第に夢中になっていく。

こうして組織や団体、機関の管理者としてのマネージャーの資質・組織の定義づけ・マーケティングやイノベーションの重要性など、『マネジメント』を通じて様々なことを学んだみなみは、自分がマネージャーとなって野球部をマネジメントできないものかと考え、夕紀や加地、後輩マネージャーの文乃、同じく同書を愛読している二階らに協力を仰ぎ、マネジメントで学んだことを野球部の運営に当てはめ、部をより良くしていく万策を次々と実践していく。

『社会に対する貢献』を視野に入れた彼女のマネジメントは、野球部のみならず、同行の柔道部や家庭科部など程校のほかのクラブにも影響を与えていくほどのなる。程校野球部が打ち出した『ノーバント・ノーボール』作戦は、後に高校野球にイノベーションを起こし、『程校伝説』とまで呼ばれるようになる。

その後快進撃を勧め遂に決勝戦にまで上り詰め、甲子園まで後一歩というところでみなみに悲劇が襲い掛かるのである。

といったあらすじとなっている。ネタバレしているところもあるが、ラストのオチがどうなるかまでは書く気はないので続きが気になる方は原作を買って読んで欲しい。

間違えた本から得た教訓を生かして野球部の場抜本的改革は見事なものだと思うが、それが企業家などを対象にした書籍であるならば当てはめることも確かに可能だろう。そんなことはないと思うのだが、結局はスポーツにしてもなんにしても、組織としての構造と役割はほとんど変わらない。ただ行う内容や仕事が違うだけで、仕組み自体は根本から違うことはない。組織にとって必要な確かに有能な上司の指示もあり、それをこなせる能力を持った部下も不可欠だが、そのどれか片方が突出していても組織としては成り立つことはない。簡単に言えば、相互関係がしっかり築き上げることで全体の力は何倍にも向上する、と筆者は考えている。

頑張ることで成果が上がればいいことだが、そのひとつの成果をつぶすようなことをする人間がいては結局のところ何の意味も成さない。また一人で独断的に進んでも、回りと連携して行動しなければまた然りだろう。

別例として、成果を挙げることが成功して、一番の功労者に対して何の労いもせず、手柄を自分の者にだけするような行動は波紋を呼ぶことになる。あんなに頑張ったのに、努力を評価してもらえないなんて、ということになってくれば誰だってやる気がそがれてしまう。手柄を奪われ、欠点のみを注意される毎日を送れば、人は行動を起こす気力も起きない。そしてそのことを正当に評価しないような上司や先輩に立っては、下にいるものとしては気苦労が絶えず、ストレスが溜まるようなことばかりしか起きない。

仕事は決して楽しいことではないが、楽しくない中で自分なりに面白いということを見出すことが出来なければ、何事も続かない。見つけれられなくても、個人の特性を見抜き、役割にそっと背中を押して導くような行いをしてあげることもまた上の立場をする役割だろう。何も全ての面倒を見ろと言いたいわけではない、自発的に何かを見出せなければ何かが生まれるということはないと、筆者は言いたいのである。そんなことは知ったことではないと考える人もいるが、新しく組織に加わった人間にとっては始めのうちは何をしていいのかわからないのは当然ことだ、だからこそ指針としてある程度まで導かなければならない。筆者もとあるアルバイトに就いたとき、三ヶ月近く仕事のほとんどを振ってもらえず、何も出来ないままでいるところを責任者が目をつけ、一時期首を切られそうな事態になりかけた。仕事を何一つ振ってこないでどういうことだ、と思ったが基本的にそこの職場は各々が好き勝手にしたい仕事をしているような職場だったので、筆者も割り切って自分のしたいことをすることに決めた。

仕事も自分で見て盗んで会得し、やりたいようにやっていると、首を切られるようなこともなく、気づけばそこで2年近く働いていた。楽しかったことに変わりはないのだが、その職場で思ったことはあまり組織としての関係性が良くない職場だったというのが正直な感想だ。まぁそれ以上でも、それ以下でもないのでこの話はこれくらいにして行こう。

何が言いたいのかというと、組織というのは上下の連携が成り立っていることでようやくまともに機能できるというのでは、と筆者は考えているのである。語弊や考えの相違もあるが、少なくとも筆者は社会の中で一人で働くようなことはめったに無い。必ず何かしらの協力関係があって仕事は成立するものだ。関係性を崩して行動できるほど簡単に仕組みではない。

ドラッガーの著者『マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則』はそんな当然な仕組みを気づかせてくれる著作なのかもしれない。

ピーター・ドラッカー

ではそんな著作を記した人物である『ピーター・ドラッカー』とはどんな人物なのだろうか、彼について紐解いていこう。

1909年オーストリア・ウィーン生まれのユダヤ系オーストリア人経営者で、『現代経営学』または『マネジメント』の発明者、またはマネジメントのグルの中のグルと呼ばれているという。

ウィーンで父『アドルフ・ドルッカー』と母『ボンディ』との間の、裕福なドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれる。義理の叔父には公法学者兼、国際法学者の『ハンス・ケルゼン』がいる。

1917年に両親の紹介で同じユダヤ人の精神科医『ジークムント・フロイト』に会う。1929年、ドイツ・フランクフルト・アム・マインの『フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー』市の記者になる。その後、フランクフルト大学にて方角博士号を取得する。この頃、国家社会主義ドイツ労働者党、後のナチ党の『アドルフ・ヒトラー』や『ヨーゼフ・ゲッベルス』から時折インタビューを許可されていた。

1933年、自ら発表した論文がユダヤ人を嫌うナチ党の怒りを買うことを確信し、退職して急遽ウィーンに戻り、イギリスのロンドンに移住する。ジョン・メイナード・ケインズの講義を受ける傍ら、イギリスの投資銀行に勤める。1937年、同じドイツ系ユダヤ人の『ドリス・シュミット』と結婚し、その後アメリカ合衆国に移住する。

1939年、処女作『経済人の終わり』を上梓し、三年後にバーモント州ベニントンのベニントン大学教授となる。1950年にはニューヨーク大学、現在のスターン経営大学院の教授を約20年間務めることになる。

1959年に日本に初来日し、以降たびたび来日することになる。日本画を気に入りコレクションを始め、その後66年には勲三等瑞宝章を受勲する。1971年にカリフォルニア州クレアモントとのクレアモント大学院大学教授となり、2003年まで務めることになる。

1979年に自伝『傍観者の時代』を、1982年には初めての小説『最期の四重奏』を著す。

2002年、アメリカ政府から大統領自由勲章を授与され、それから3年後の2005年にクレアモントの自宅にて老衰のため95歳でこの世を去る。

思想その他

ユダヤ系だったドラッカーは、ナチスの勃興に直面し、古い19世紀的ヨーロッパ社会の原理が崩壊するのを目撃し、危険を差と鋭意義理ををえてアメリカに家族と共に逃れる。

そこで彼は目にしたのは20世紀の新しい社会原理として登場した組織・巨大企業だった。ドラッカーはその社会的使命を改名すべく、ゼネラルモーターズを題材にした著作に取り掛かる。それが『企業とは何か』に結実することになるのだが、当時の副社長だったドナルソン・ブラウンが『産業人の未来』を読み、それに触発されてドラッカーに声をかけたのが発端だった。『企業とは何か』は組織運営のノウハウ、すなわちマネジメントの重要性を初めて世に知らし目、フォード再建の教科書として使われるようになる。

ドラッカーは『分権化』などの多くの重要な経営コンセプトを考案したが、その興味・関心は企業の世界に留まることを知らず、社会一般の同行にまで及んだ。『民営化』や『知識労働者』は彼の造語で、後に世界中に広まることになる。特に非営利企業の経営には大きなエネルギーを費やした。1990年には『非営利組織の経営』を著している。

彼の著作には大きく分けて組織のマネジメントを取り上げたものと、社会や政治などを取り上げたものがあり、本人によれば、彼の最も基本的な関心は『人を幸福にすること』にある。そのためには個人としての人間と社会の中の人間のどちらかのアプローチをする必要があるが、ドラッカー自身が選択したのは後者だった。

ドラッカーは著作『マネジメント』で、従来の全体主義的な組織の手法を改め、自立した組織を論じ、前書きにおいて『成果を挙げる責任あるマネジメントこそ全体主義に関わるものであり、我々を全体主義から守る唯一の手立てである』と述べている。

また著書の1つ『既に起こった未来』では、自らを生物環境を研究する自然生態学者とは異なり、人間にとって作られた人間環境に関心を持つ『社会生態学者』と評している。

ドラッカー自身の思想は、組織や企業経営の分野に留まらず、個人のプロフェッショナル成長の分野にも及び、いわゆるナレッジワーカーが21世紀のビジネス環境で生き残り、成功するためには『自己の長所』や『自分がいつ変化すべきか』を知ること、そして『自分が成長できない環境から迅速に抜け出すこと』を勧めていた。新しい挑戦こそが、プロフェッショナルの成功に貢献すると主張し続けていた。

また、大学入試のために書いた論文『パナマ運河と世界貿易におけるその役割』がオーストリアの経済誌目に留まり、その編集部から招待され編集会議に参加する。そこで、当時の副編集長で、後の経済人類学者となる『カール・歩欄ニー』と出会い、以後長い交友関係を結ぶことになる。ドラッカーの記述によると、アメリカのベニントン大学の教授職をポランニーに紹介し、彼の『大転換』執筆のきっかけともなったとあるが、後の検証によればその記述は誇張や誤りだらけであり信憑性に欠けてしまっている。

著作

単著
  • 『経済人の終わり――新全体主義の研究』(東洋経済新報社、1963年) - 1939年著作。
  • 『変貌する産業社会』(ダイヤモンド社、1959年)
  • 『明日のための思想』(ダイヤモンド社、1960年)
  • 『明日を経営するもの』(日本事務能率協会、1960年)
  • 『新しい社会と新しい経営』(ダイヤモンド社、1961年)
  • 『競争世界への挑戦――日本の経営に提言する』(日本事務能率協会、1962年)
  • 『経営とはなにか』(日本事務能率協会、1964年)
  • 『産業にたずさわる人の未来』(東洋経済新報社、1964年)
  • 『創造する経営者』(ダイヤモンド社、1964年)
  • 『現代の経営(上・下)』(ダイヤモンド社、1965年) - 1954年著作。
  • 『産業人の未来』(未來社、1965年)1942年著作。
  • 『会社という概念』(東洋経済新報社、1966年) - 1946年著作。
  • 『現代大企業論(上・下)』(未來社、1966年)
  • 『経営哲学』(日本経営出版会、1966年)
  • 『経営者の条件』(ダイヤモンド社、1966年)
  • 『ドラッカー経営名言集』(ダイヤモンド社、1967年)
  • 『知識時代のイメージ――人間主体社会を考える』(ダイヤモンド社、1969年)
  • 『断絶の時代――来たるべき知識社会の構想』(ダイヤモンド社、1969年)
  • 『知識社会への対話』(日本事務能率協会、1970年)
  • 『マネジメント――課題・責任・実践』(ダイヤモンド社、1974年)
  • 『見えざる革命――来たるべき高齢化社会の衝撃』(ダイヤモンド社、1976年)
  • 『企業の革新』(ダイヤモンド社、1978年)
  • 『イノベーションと企業家精神――実践と原理』(ダイヤモンド社、1985年)
  • 『新しい現実――政府と政治、経済とビジネス、社会および世界観にいま何がおこっているか』(ダイヤモンド社、1989年)
  • 『非営利組織の経営――原理と実践』(ダイヤモンド社、1991年)
  • 『未来企業―生き残る組織の条件』(ダイヤモンド社、1992年)
  • 『ポスト資本主義社会――21世紀の組織と人間はどう変わるか』(ダイヤモンド社、1993年)
  • 『未来への決断――大転換期のサバイバル・マニュアル』(ダイヤモンド社、1995年)
  • 『明日を支配するもの――21世紀のマネジメント革命』(ダイヤモンド社、1999年)
  • 『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか』(ダイヤモンド社、2000年)
  • 『チェンジ・リーダーの条件――みずから変化をつくりだせ!』(ダイヤモンド社、2000年)
  • 『イノベーターの条件――社会の絆をいかに創造するか』(ダイヤモンド社,、2000年)
  • 『ネクスト・ソサエティ――歴史が見たことのない未来がはじまる』(ダイヤモンド社、2002年)
  • 『実践する経営者――成果をあげる知恵と行動』(ダイヤモンド社、2004年)
  • 『企業とは何か――その社会的な使命』(ダイヤモンド社、2005年) - 1946年著作『会社という概念』の新訳。
  • 『テクノロジストの条件――はじめて読むドラッカー』(ダイヤモンド社、2005年)
  • 『ドラッカー20世紀を生きて――私の履歴書』(日本経済新聞社、2005年)
  • 『ドラッカー――365の金言』(ダイヤモンド社、2005年)
  • 『ドラッカーの遺言』(講談社、2006年)
  • 『ドラッカー わが軌跡』(ダイヤモンド社、2006年) - 自伝『傍観者の時代』の新訳。

書いていて思ったことは、非常に有能で、社会としての仕組みをいち早く理解して紐解こうとした人物であったということが分かる。【成功するためには『自己の長所』や『自分がいつ変化すべきか』を知ること、そして『自分が成長できない環境から迅速に抜け出すこと』】ということ、この言葉を個人的にも非常に感銘を受けた。

人は常に同じ場所に留まろうとするのを好む人が多いだろう、先にも述べたとおりに書いたことかもしれないが、辛い状況に陥ることはせず、今の状況に甘んじることで楽をするという人は多いと思う。

筆者個人としてはその生き方が本当に生きがいある人生を遅れるのかと聞かれたら、迷わずNOと答えるだろう。人生というのはほぼ全てが辛いことで形成されているものだ、その中からいかに楽しい事を見つけるためにはどうするべきなのかと考えなくてはならない。

その楽しくなるようにするためには辛く厳しい道を進まなければならなくなったとしても、筆者は苦しいとは思わない。人生というのは楽しく生きなければ何の意味もないと考えているからだ。そして楽しく生きることは、自分がいかに今の状況に満足するために努力して、前進することができるのかを探さなければならない。誰かに与えられることで道が開けることも出来るだろう、それが本当に自分にとって正しい道なのかどうか分からなくても、甘んじることが出来るならそれもいいだろう。でも苦節することで開いていった人と比べれば、生きていることに対しての重みも価値も全く異なるだろう。

どちらが正しいということはない、でももし今の自分に満足していなければ動き出さなくてはならない。それが自分にとっていい選択であることは間違いなく言えるだろう。

ドラッカーの言葉は、今の日本の悩める若者にとっては心打つ人かもしれない。

『マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則』

もしドラのテーマとなっているドラッカーの著者、内容というものはいかなものになっているのだろう。引用ではあるが、ドラッカーはこのようなことを述べている。

― 日本の読者へ

私の大部の著作『マネジメント――課題・責任・実践』からもっとも重要な部分を抜粋した本書は、今日の日本にとって特に重要な意味を持つ。日本では企業も政府機関も、構造、機能、戦略に関して転換期にある。そのような転換期にあって重要なことは、変わらざるもの、すなわち基本と原則を確認することである。そして本書が論じているもの、主題としているもの、目的としているものが、それら変わらざるものである。

事実、私のマネジメントについての集大成たる『マネジメント』は、1950年代、60年代という前回の転換期における経験から生まれた。まさにその時期に、20世紀のアメリカ、ヨーロッパ、日本の経済、社会、企業、マネジメントが形成された。日本を戦後の廃墟から世界第二位の経済大国に仕上げたいわゆる日本型経営が形成されたのもこの時期だった。

私のマネジメントとの関わりは、第二次大戦中、当時の最大最強の自動車メーカーGMでの調査に始まり、アメリカの大手鉄道会社と病院チェーンへのコンサルティング、カナダの政府機関再編への協力、日本の政府機関、企業への助言と進んでいった。

それらの経験が私に教えたものは、第一に、マネジメントには基本とすべきもの、原則とすべきものがあるということだった。

第二に、しかし、それらの基本と原則は、それぞれの企業、政府機関、NPOのおかれた国、文化、状況に応じて適用していかなければならないということだった。英語文化と仏語文化の共存が大問題であるカナダの政府機関再編での経験は、日本の自治体の再編、国との関係の再構築についての助言という私の次の仕事には役に立たなかった。同じように、歴史のあるアメリカのグローバル企業の組織構造は、たとえ同じ産業にあっても、創業間もない日本のベンチャー企業の組織の参考にはならなかった。

そして第三に、もう一つの、しかもきわめて重要な「しかし」があった。それは、いかに余儀なく見えようとも、またいかに風潮になっていようとも、基本と原則に反するものは、例外なく時を経ず破綻するという事実だった。基本と原則は、状況に応じて適用すべきものではあっても、断じて破棄してはならないものである。

ところが私は、当時、経験豊かな成功している経営者さえ、それらの基本と原則を十分把握していないことに気がついた。そこで私は、数年をかけて、マネジメントの課題と責任と実践にかかわる基本と原則を総合的に明らかにすることにした。

実はその20年前、すでに私は、企業や政府機関のコンサルタントとしての経験と、二つの大学で役員を務めた経験から、同じ問題意識のもとにこの問題に取り組んでいた。その成果が、30カ国語以上に翻訳されて世界中で読まれ、今日も読まれ続けている『現代の経営』だった。それは全書というよりも入門書だった。

しかし『マネジメント』は、初めからマネジメントについての総合書としてまとめた。事実それは、マネジメントに関わりをもち、あるいはマネジメントに関心をもつあらゆる人たち、すなわち第一線の経営者から初心者に至るあらゆる人たちを対象にしていた。

その前提とする考えは、マネジメントはいまや先進社会のすべて、すなわち組織社会となった先進社会のすべてにとって、欠くことのできない決定的機関になったというものである。さらには、あらゆる国において、社会と経済の健全さはマネジメントの健全さによって左右されるというものである。そもそも国として、発展途上国なる国は存在せず、存在するのはマネジメントが発展途上段階にある国だけであるということに私が気がついたのは、ずいぶん前のことだった。

『マネジメント』が世に出た後も、無数の経営書が出た。勉強になる重要なものも少なくない。しかしそれらのうちもっともオリジナルなものでさえ、扱っているテーマはすでに『マネジメント』が明らかにしていたものである。事実、この30年に経済と企業が直面した課題と問題、発展させた政策と経営のほとんどは、『マネジメント』が最初に提起し論じていた。

『マネジメント』は、世界で最初の、かつ今日に至るも唯一のマネジメントについての総合書である。しかも私が望んだように読まれている。第一線の経営者が問題に直面したときの参考書としてであり、第一線の専門家、科学者が組織とマネジメントを知る上での教科書としてであり、ばりばりのマネジャー、若手の社員、新入社員、学生の入門書としてである。うれしいことには、企業、組織、マネジメントに直接の関わりをもたない大勢の人たちが、今日の社会と経済を知るために『マネジメント』を読んでくれている。

マネジメントの課題、責任、実践に関して本書に出てくる例示は、当然のことながら、本書初版刊行時のものである。しかし読者におかれては、気にする必要はまったくない。それらの実例は、基本と原則を示すためのものであり、すでに述べたように、それらのものは変わらざるもの、変わりえないものだからである。

したがって読者におかれては、自らの国、経済、産業、事業が今直面する課題は何か、問題は何か、行うべき意志決定は何か、そしてそれらの課題、問題、意志決定に適用すべき基本と原則は何かを徹底して考えていっていただきたい。さらには、一人の読者、経営者、社員として、あるいは一人の知識労働者、専門家、新入社員、学生として、自らの前にある機会と挑戦は何か、自らの拠り所、指針とすべき基本と原則は何かを考えていただきたい。

世界中の先進社会が転換期にあるなかで、日本ほど大きな転換を迫られている国はない。日本が50年代、60年代に発展させたシステムは、他のいかなる国のものよりも大きな成果を上げた。そしてまさにそのゆえに、今日そのシステムが危機に瀕している。すでに周知のように、それらの多くは放棄して新たなものを採用しなければならない。あるいは徹底的な検討のもとに再設計しなければならない。今日の経済的、社会的な行き詰まりが要求しているものがこれである。

21世紀の日本が、私と本書に多くのものを教えてくれた40年前、50年前の、あの革新的で創造的な勇気あるリーダーたち、とくに経済のリーダーたちに匹敵する人たちを輩出することを祈ってやまない。そしてこの新たな旗手たちが、今日の日本が必要としているシステムと戦略と行動、すなわち、その構造と文化においてあくまでも日本のものであって、しかも新しい世界の現実、新しい働く人たち、新しい経済、新しい技術に相応しいシステムと戦略と行動を生み出し生かすうえで、本書がお役に立てることを望みたい。

本書がこの偉業に貢献できるならば、これに勝る喜びはない。それは私にとって、私自身と、体系としてのマネジメントそのものが、これまで日本と、日本の友人、日本のクライアントから与えられてきたものに対するささやかな返礼にすぎない。

……

2001年11月

カリフォルニア州クレアモントにて

ピーター・F・ドラッカー ―

ドラッカーの『マネジメント』と、みなみのマネジメント

さて、ではそんなマネジメントを題材にしたもしドラ内において、どのような定義に当てはめて主人公は改革を進めていったのかを見てみよう。

組織の定義付け

あらゆる組織において努力を実現するためには「われわれの事業は何か。何であるべきか」を定義することが不可欠である。

1:「顧客は誰か」という問いこそ、個々の企業の使命を定義するうえで、最も重要な問いである。

2:「顧客は誰か?」→お金を出してくれる親、部費や施設を提供してくれる学校や応援してくれる生徒、東京都、高野連、試合を見てくれる全国の高校野球ファン、そして実際にプレーをする野球部員。

3:「野球部は何のための組織か?」→上記の顧客に対し、感動を与えるための組織。

マーケティング

真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち、現実、欲求、価値からスタートする。「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問う。「われわれの製品やサービスにできることはこれである」ではなく、「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足はこれである」

みなみは、野球部員へのマーケティングの手段として「お見舞い面談」を実施する。当初はみなみがやろうとしていたが、部員たちはどこか他人行儀でよそよそしかった。そこで、彼らとの付き合いが長く、話し上手な夕紀に彼らの現実、欲求、価値を聞き出せないものかと考えたもの。一人ずつ夕紀の病室に呼び出し、お見舞いがてらに話を聞き、部員らの現実、欲求、価値を、どんどんと引き出していった。

成果と働きがい

マネジメントは、生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果を上げさせなければならない。働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。そのためには、以下のものが不可欠である。

1:生産的な仕事 - マネジメントで重要なファクターとなるマーケティング業務を夕紀に一任し、自分の仕事が野球部に貢献していることを、彼女に実感してもらった。

2:フィードバック情報 - 面談が終わった後に反省会を開き、みなみは夕紀に自分の評価や感じたことを率直に伝えた。

3:継続学習 - みなみは夕紀に、ドラッカーの『マネジメント』を読んでもらった。また、どうやったら効率的なマネジメントができるかを話し合い、『マネジメント』以外の本も読んでもらった。